Acana Rd. の家への引越し

渡米から2年ほど後、Loftyview Dr.の家からAcana Rd.の家へ引っ越しした。
親の話ではLoftyview Dr.の家のオーナーがOregon州へ引っ越すので、California州の家を売却するために明け渡す必要があるとのことだった。
アメリカ人はよく引っ越すから、などとぼやいていた。
どうやって探したのかは知らないが、Acana Rd.の家へ引っ越すことになった。
新しい家でも2年間過ごすことになる。
当時親の話では、今度のオーナーは日本人に非常に好意的だということだった。
その理由は、日本人は家を綺麗に使ってくれるからとのことだった。
日本人は玄関で靴を脱ぐので、自然と家の中が汚れにくい。
だから、ずっと日本人に家を貸してきたとのこと。
今も日本人が住んでいるのだろうか?

新しい家の住所は
280xx Acana Rd., Rancho Palos Verdes, CA
Rancho Palos Verdesというのはスペイン語なのだろうか?少なくとも英語には見えない。
Californiaは昔はメキシコの一部だったので、その頃からの地名なのかもしれない。
Loftyview Dr.の家はbackyardがあるにはあるが、コンクリで固められていて、あまりくつろげるような空間ではなかったが、
Acana Rd.の家のbackyardは広くて芝になっていた。
backyardに大きな木があって、タイヤのブランコか何かが吊り下がっていた。
今はその木はないようだ。
庭の右側に木があったはずが、今は衛星写真で地面が見えている。

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Acana Rd の家のレイアウト。GoogleMapの写真を見ずに描いたもの。

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Acana Rd の家のGoogleMapでのstreetview

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Acana Rd の家のGoogleMapによる衛星写真

また、当時は家の前にも大きな木があったが今はない。
前にGoogleMapで見た時は切り株が残っていたが、今見ると車が邪魔でよく分からないが、
もしかすると切り株もなくなっているかもしれない。
この木は松の木で、大きくくねっていて登りやすかったので、よく登った。
松ぼっくりをよく落としていた。
痕跡が全くなくなっているとしたら、ちょっと悲しい。

 

隣りとの境界は板塀になっていた。
大きな嵐に襲われた時、ずっと家に籠っていたが、家の中が何故かブー、ブーと鳴っていた。
電線が引っ張られているのかな、と家族で言っていた。
その大きな嵐の時、後ろの家との境界の板塀、言い換えると奥の家のbackyardと
我が家のbackyardを仕切る板塀が吹き飛びそうになり、父が板塀に何か応急処置を
したことがあった。

 

Acana Rd.は奥に行くに従って坂を上がるようになっていた。
だから隣の家とは微妙に段差があった。
おそらく土地が複雑な起伏になっていて、家によって隣りとの段差が
大きかったり小さかったり、程度は様々だった。
Acana Rd.の奥にある方のお隣りの家との間にはちょっとした崖が剥き出しになっていて、
そこで化石が出ないかと期待を込めて石を割ったりすることもあった。
これは化石なのではないだろうか?と勝手に思い込んでいる石もあったが、実際はどうだったんだろう?
今は隣りとの境界は剥き出しにはなっていないようだ。
植物が植わっていて、地べたが見えないようになっている。
写真で見ると隣の境界付近には濃い緑と薄い緑のbushが見えるが、濃い緑のbushは当時からあったような気がする。
しかし薄い緑のbushは当時はなく、地べたが剥き出しだったと思う。

 

この家のガレージが電動で、リモコンで操作できるのが最初は感動的だった。
つまり、前のLoftyviewの家のガレージはリモコンで操作できなかったと思う。
車を出してガレージを閉じる時や、家に帰って来てガレージを開ける時、
車内からリモコンでピッと操作するだけで開け閉めできるのが便利だった。

 

ダイニングに倉庫のような部屋が付いていた。
ここには棚がいっぱいあり、常温で保存できる食料を保管していた。
シリアル(cereal)もここに保管していた。(朝食ではなく、専らおやつ用だったが。)
非常に便利な空間だった。
ダイニングにもテーブルを置いていたが、リビングも広く、キッチンとつながっている
一角に来客の応接にも使えそうな立派なテーブルを置いていた。
使い分けはよく覚えていないが、リビングのテーブルで勉強をしていた記憶はある。
あと、シリアルなどのおやつはリビングのテーブルで食べていたのは覚えている。

 

僕はまだ日本では見たことがないが、disposerがあった。Loftyviewの家にもあった。
台所の流しの下に設置してあって、生ごみなどを砕いて流せる機械だ。
アメリカでは当時から標準装備だったと思う。
最初に存在を知った時、つまりLoftyviewの家に引っ越した時、母が喜んでいたのを覚えている。
もう三角コーナーがいらないとか何とか言っていた。
台所に日本の家にはない、disposer用のスイッチがあり、電源を入れるとガーと音が鳴って砕くのだ。
おはじきだかビー玉で遊んでいて、流しに入ってしまったのを放置していて、
親がdisposerを使った時に異音がして、引き上げてみたら、おはじきの破片が出てきたので
放置しているのがバレて怒られたのを覚えている。

 

この家に引っ越してからだったと思うが、VHSのビデオデッキが使えるようになった。
確か親の話では、会社で持ち回りになっていて、順番的に我が家が借りる権利を得た
とのことだったように記憶している。

 

廊下をまっすぐ進んだ突き当たりがトイレ兼風呂場で、普段はそのトイレと風呂を使っていた。
大きな鏡があったのを覚えている。
しかし、親の寝室の奥にもトイレとシャワーがあった。
こっちは利用頻度が少なかったので不正確だが、bathtubはなかったのではないかと思う。
アメリカの家は2軒とも、トイレ兼風呂場(もしくはシャワーのみ)が2セットあった。
これが標準的なのかもしれない。
ただ、アメリカは貧富の差が激しいのでピンキリだとは思う。
プールのある家も非常に多かった。