渡米

1980年11月1日、渡米した。
11月1日に日本を発って、11月1日にLos Angelesに着いた。
この時の飛行機(日航機)が人生初めてのフライト。
窓の外、眼下に雲が広がっていた。綿のような雲だった。
何故か所々雲の一部が柱のように上へ延びている中を飛行したのを覚えている。
当時、フライト時間は何時間だったんだろう?全然覚えていないが、退屈して弟と喧嘩(僕が悪いのだろう)したりして、
スチュワーデスのお姉さんにおもちゃを頂いた。
確か、黒い板の上でブロックを組み合わせていろいろな形を作れる、いわば2次元のブロックのようなおもちゃがあった。
黒い板とブロックはペタペタとくっつくので、飛行機が揺れても大丈夫なのだ。
当時、どの機材に搭乗したのだろう?
ジャンボジェットと言われたB747だろうか?
あんなに愛された機材ももう見ることは殆どない。
4発機がウソのように消えてしまった。

 

Los Angelesに着くと、抜けるような青空のいい天気だった。
この日に限らず、Los Angelesはいつも青空が日本よりも濃い青だったように思う。
先に渡米していた父が車で空港まで迎えに来てくれた。
久しぶりに父と再会した。
車でアメリカの借家へ向かいながら、いろいろ話を聞いた。
今覚えていることは2つだけ。
1つは、前日に何かお祭りがあったみたいだよと言われたこと。
あとで分かったのは、それがHalloweenだ。
当時は日本では殆ど知られていなかった。
帰国後も長らく日本では殆ど知られていなかった。
最近になって急にブレイクした印象だ。
何がきっかけだったんだろう?

 

もう1つは、車のウインカーの出し方。ハンドルのすぐ下に棒が突き出ていて、それを上下に動かすと左右のウインカーが出る。
その棒を捻るとヘッドライトが付く。
その棒1本で何でもできるんだ、と父が自慢げに説明していた。
今はそれが当然だが、当時の日本車は違ったのだろうか?(是非知りたいところ)
それとも、単に運転したことのない僕や弟に自慢しただけなのだろうか?

 

アメリカの借家は、日本で住んでいたマンションとは比べものにならないほど広い一軒家だった。
父が家の中を案内してくれた時に、押し入れからゴルフバッグを出して自慢げに見せてくれた。
当時、日本ではおそらくゴルフバッグを持っていなかったのではないだろうか。