Loftyview Drの家

アメリカの家はCalifornia州のLoftyview Dr., Torranceにあった。
住所は、
25xx Loftyview Dr., Torrance, CA
ちなみに、住所のCaliforniaは通常省略して"CA"と書く。
40年前はそれが徹底されていなくて、"Calif"と書く人がたまにいた。"Calif"ではなく"CA"と書きましょう、と教わった記憶がある。
今はさすがに誰でも"CA"と書くのだろう。
当時の家は今でもGoogleMapで確認できる。
ただし、外観は随分変わった。GoogleMapで道路沿いの家々を眺めていても、指摘されないと分からない。
後述する予定の2軒目の家(Acana Roadの家)についてもそうだが、個人の家の敷地内の木の多くが切り倒されている。
40年前のアメリカでは、どの家にも敷地内に大きな木がたくさんあったのに、今はあまりない。
今は日光がさんさんと照り付けている。40年前は、横に大きく枝を張った大木が庭に木陰を作っている家がたくさんあった。
当時はそういう木陰で遊んでいた。
アメリカ人の木に対する意識がこの40年で大きく変わってしまったのだろう。
Loftyviewの借家の前の庭には、レンガを円形に積み上げた花壇のようなものがあり、中央にそこそこ大きな木が植わっていた。
他にも、家と庭の境界には小さな木が植わっていたような気がする。
今は跡形もない。
それは向かいのJoewy(綴りはあまり自信ない)の家も同じ。家の前の庭に大きなリンゴの木が植わっていた。
この木は青いリンゴの実を付けた。当時の日本では青いリンゴは珍しかったので覚えている。Joewyはそれを時々食べていた。
その木も今はない。
街路樹として3,4mくらいの木が所々に植わっていたが、それは今でも(一部)残っている。
今では考えられないが、当時は普通に木に登っていた。
この街路樹は当時"pinecone"と呼んでいた実というか種を付けた。
pineconeは松ぼっくりと訳すと思うが、日本の一般的な松ぼっくりとは違う。
日本の松ぼっくりよりも細長い松かさに穴だか隙間が多数空いていて、その中に赤い種が顔を覗かせていた。
そんなpineconeだった。
画像検索で多少調べたが、記憶に合致するpineconeは発見できなかった。
日本に帰国後、どこかで同じものを見た記憶はない。
ちなみにアメリカにも日本のと同じ松ぼっくりは見たことがある。
確か2軒目の家の前にあった木はそんな松ぼっくりを付けていたような気がする。
その木もGoogleMapで見ると、今は切り倒されてしまっているが。
この木にもよく登ったので、切り倒されていると知ると残念だ。

 

1980年の引っ越し直後、向かいのJoewy一家に何かをプレゼントした。これは日本の習慣に基づいての行為だったと思う。
アメリカではそういう習慣があるのかないのか分からないが、すぐに(おそらくその日の内に)お返しが来た。
受け取ってもらわないと、ということで母はまた何かをプレゼントした。すぐにお返しが来た。何往復かした。
プレゼントした時の包み紙でお返しの品を包んでいると母が言っていたのを記憶している。
Joewyには姉がいて、記憶では少しずんぐりした丸っこい体型だった。
2軒目の家に引っ越した後、たまたまLoftyview時代によく利用していたスーパーで買い物したら、駐車場でJoewy一家に偶然再会した。
その時、Joewyの姉が"We missed you!"と言っていた。もしかしたらハグしたかもしれない。
"miss"はこういう使い方をするのかと母が言っていた。
今でも"miss"をこの意味、つまり寂しいという意味で使うのを聞くと、このエピソードを思い出してしまう。

 

GoogleMapで見付ける前に描いた家の中のレイアウトと、GoogleMapで見た外観を載せておく。

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Loftyview時代の家のレイアウト

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Loftyview時代の家の現在の外観

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Loftyview時代の家をGoogleMapで見た衛星写真


一部、2軒目の家と記憶が混同している。
玄関を開けると居間やその奥の石畳の部屋まで見通せる。
石畳の部屋には2段の棚があって、Death Valley で拾った塩の塊や、各地で拾った石を並べていた。
当時、何故か石を拾ってくる性癖があった。
石畳の部屋から庭に出られる。庭はコンクリの上にスノコで作った縁側のようなものの上にテーブルがあった。
そのテーブルで遊ぶこともあった。
記憶の中の写真では、ガンダムの人形や粘土を使って遊んだ記憶がある。
birthday party もやったことがあった。

このスノコのような縁側は、今はGoogleMapの衛星写真で見ると大きく変わっているように見える。
「物入れ」を覚えているのは、この中に父のゴルフバッグが入っていたからだ。
1つだけ「タンス」の位置を覚えているのは、この中に僕の下着などの着替えが入っていたからだ。
トイレとシャワーが2セットあり、メインに使う風呂は子供部屋と両親の寝室の間の方。
海水浴に行ったあと、砂が付いている時は台所の奥のシャワーを使わされた。
こっちにはシャワーだけで、bathtubはなかった。
子供部屋の手前の部屋は何に使っていたかは記憶していないが、数段下に降りる階段があり、
全体的に薄暗いイメージがあるが、最近になってガレージに繋がっていたと母に聞いた。
確かにアメリカの家はガレージと家が繋がっていた。
庭に花壇のようなものがあり、その中にそこそこ大きな木があった。
この木に巣を作って卵を産んだ鳥がいたが、卵が芝に落ちてしまったことがあった。
ウズラかそれよりも小さい卵だった。
弟が巣に戻したが、その卵は孵らなかった。
人間の匂いが付くとダメなのか、という話をした記憶がある。
ガレージの先、お隣りとの境界に派手な花を咲かせる植物があった。紫やオレンジ色混じりの派手な色だった。
この植物も、庭の木も今は跡形もなくなっている。

 

家の周囲の様子で覚えていることを書き留めておく。
Loftyview Dr.をさらに奥に進むと左カーブし、さらに先に大きな公園があった。
池があったり、芝敷きの地面が大きく隆起している所が多々あったような気がする。
敷地の端にはバーベキューできる設備もあったような気がする。
公園に行く途中の左カーブの直前が小学校の同級生のZackの家だった。
Zackは正義感の強いナイスガイだった。
曲がったことをする奴には口をへの字にして怒りを全面に剥き出しにして本気で立ち向い、喧嘩も辞さないような男だった。
例え自分が嫌なことをされた訳ではなくとも、友達が嫌な目に遭ったというだけで我が事のように本気で憤慨して、
相手が謝罪しないなら喧嘩も辞さない。そういうまっすぐな性格の男だった。
絶大に信頼できる男だと思っていた。
おそらく彼には困ったときに助けてもらったこともあったのではないかと思う。忘れてしまって申し訳ないが。
Zackの家に遊びに行ったとき、Zackの母が"Zack, Zachariah!"と大声で呼んでいた。
ZackはZachariahの短縮形だったのだ。(正確な綴りは分からないが)
今でもごく稀にZackという名前を聞くと彼のことを思い出す。
ハリウッド俳優でもやっていそうな、端正で曲がったことが嫌いな凛々しい小柄な少年だった。

 

Loftyview Dr.の反対側(手前側)の方が遊びに行く機会が多かった。
結構日本人が住んでいたのだ。
通りの向かい、つまりJoewyの家の数軒隣りが高橋くんの家だった。
高橋くんの家にはしょっちゅう遊びに行っていた。
確かお父さんが自動車部品を製造する会社に勤めていて、その会社の社章がプリントされたシールを見た記憶がある。
アルファベット3文字のロゴが入っていた。GとかMとかを含む3文字だったと思う。
高橋くんの家の前にも当時は大きな木が植わっていて、庭は木陰になっていた。
その木陰でフリスビーをして遊んだ記憶がある。
とにかく高橋くんとはよく遊んだ。
他にも土屋くんが高橋くんの家に遊びにくることがあった。
土屋くんはちょっと年上の関西人で、関西弁丸出しの話し方だった。
関西弁が乱暴な感じがして土屋くんとは少し距離を感じていた。
記憶の中では、土屋くんは高橋くんの家の窓の外から、窓枠に手をついて、室内にいる僕や高橋くんに突っ込みを入れるという情景だ。
きっとそういう一幕があったのだろう。
土屋くんの家もおそらく近所にあったのだろうが、遊びに行った記憶はない。
他にも、近所に僕よりもっと小さい双子の日本人姉妹がいた気がするが、あまり定かではない。
一緒に遊んだことは殆どなかったと思う。
そういえば高橋くんは金魚を飼っていたような気がする。
リビングルームで四角い水槽を見たような記憶がある。

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高橋くんの家のレイアウト