木下匠(きのした たくみ)君

「たくみ」は、もしかしたら「巧」の字だったかもしれない。
鼻の下に何か特徴があった。
今にして思うと、アトピーだったのだと思う。

 

彼の家のすぐ隣りは崖になっていて、ちょっと怖い立地だった。
かなり奥まった場所にあったと思う。
車で行っても、着きそうでなかなか到着しなかった。
家の前の木にブランコか何かが下がっていた。

 

木下君の家ではコリー犬を飼っていた。
額に白い一筋の毛が生えていた。
コリーは必ずしも額に白い毛があるわけではなく、
額に白い毛があるコリーは賢いのだと木下君は言っていた。

そう言われると、確かに賢く見えた。

 

木下君が作っていた?作りかけていた?プラモデルを借りて、
僕が完成させたか、とにかく手を加えたのを覚えている。
言っては悪いが、木下君はあまり手が器用ではなかったと思う。
正直に言おう、僕が自分でプラモデルをいじりたかったのだ。
確か日本丸のプラモデルだったはず。
スクリューをモーターで回転できるプラモデルだったと思う。
スクリューが付いていたのは別のプラモデルだったかもしれない。
そんな気がしてきた。
モーターで動かせる船のプラモデルがこの世にあることに衝撃を受けて、
プラモデルを完成させる名目で、僕も遊びたかったのだ。

そうそう、スクリューが付いていたのは戦艦大和のプラモデルで、
3つある主砲の砲塔の1つを回転させると、それがスイッチになってスクリューが回転する仕組みだったはず。
でも、木下君が不器用と感じたのは事実だ。
帆船日本丸の随所に這わせるロープ(に見立てた糸)にセメダインがダマになって
固まっていたのを記憶している。
僕が組み立てたら、こんなことにはならないぞと思った。

 

木下君も同じVista Grande School だったのだろうか?
あまり学校で会ったり話したりした記憶がないのだが。

 

後年、日本に帰国したあと、母が日本の新聞記事で木下君の記事を見つけた。
木下君がゴルフで活躍しているという記事だった。
アメリカで活躍している日本人として取り上げた記事だったと思う。
記事には写真があり、その写真に写っているのは間違いなく木下君だった。
わざわざ日本の新聞で取り上げられたのだから、結構な活躍だったのではないか?
当時、彼からゴルフの話が出たことがあったかな?
よく覚えていない。
今でもゴルフをやっているのだろうか?