車窓の記憶

僕には写真のように記憶している風景がある。
その中には車の中からの記憶もある。
明確に覚えている記憶の一つは、Loftyview Dr.時代に車から見た自家用飛行機の空港だ。
GoogleMapで調べたら、Zamperini Field Airport という空港らしい。
今地図で見ると、Pacific Coast Hwyの1本隣りの道路に入らないと
空港を直接見ることはできないようだが、40年前はPacific Coast Hwyのすぐ脇まで
空港の敷地になっていた。
Pacific Coast Hwyを北西に向かって(家から遠ざかるように)走ると、
右側通行なので右の車窓のすぐ目の前に自家用飛行機がずらっと並んでいた。
さすがに敷地との境界にはフェンスがあったが、フェンスのすぐ向こうに飛行機が並んでいた。
それはもう延々と並んでいた。
それを車の中から眺めるのが好きだった。
自家用機を所有している富豪がたくさんいたのだろう。
地図で見るとWalteria Elementary Schoolのすぐそばなのは意外だ。

 

もう一つ、はっきり記憶している風景は、飲酒運転だ。
Downtownに向かう道路は片側4,5車線はあった。
小型飛行機なら緊急着陸できそうな幅がある。
自家用機なら余裕で着陸できるだろう。
そんな道路で信号待ちしていたところ、右隣りのレーンに停車した車を
運転していた男があからさまに飲酒運転していた。
当時、飲酒運転はたまに見かけた。
日本よりは断然多かったと思う。
バレなければOKという感覚だったのか。人によるのだろうが。
しかしその男はあまりにもあからさまだった。
そういう意味では珍しかったかもしれない。
ウイスキーを入れる容器(調べてみたらスキットルというらしい。
他にも色々な言い方があるようだ。)から直接クイックイッとやっている。
全く悪びれるところがない。
そして、左側(こちら側)の運転席の窓を全開にして、
Hey!という感じで積極的に話しかけてくる。
今にして思えば助手席の母にちょっかいを出していたのだろう。
子供の僕にとっては、あっ、陽気なおっちゃんだ!ということで手を振ったりした。
今のアメリカにはどのくらい飲酒運転があるのだろうか?

 

ある時、車に乗っていると、対向車の中の1台の車がヘッドライトをピカピカと
点灯と消灯を繰り返していた。
何だ、今のは?と思っていると、警察の車両が見えてきた。
要は、警察がいるからみんな注意しろ、ということだったのだ。
アメリカ人って粋な人が多い。
かつての江戸っ子もこういう人達だったのかもと思わせる。
ところで、警察の英訳は?と聞かれたらどう答えるだろうか?
恐らく多くの人は"police"という単語を連想するのではなかろうか。
僕にはそれはちょっと畏まった表現に聞こえる。
警察官は"cop"が一番しっくりくる。
でも警官には"cop"とはあまり言わないかも。
不思議なもので。"police officer"かな。

 

地図を見ていて思い出したが、Loftyview Dr.からPacific Coast Hwyに向かって
降りている途中にCrest Rd.という道路がある。
夜にこの道路を下ると、正面の夜景が綺麗だった。
Crest Rd. を下りきるとPacific Coast Hwyだったように記憶していたがそれは違い、
Crenshaw Blvdを経てPacific Coast Hwyのようだ。
やはり40年も経つと記憶が怪しい。
下りきった辺りにmarketと格安映画館があったように思うが、どこだったんだろう?

 

父は自動車会社に勤めており、自動車で出勤していた。
時々いつもと違う自動車で帰宅することがあり、色々な車に乗る機会があった。
280ZXにも300ZXにも乗った。
中でも忘れられないのは、トラックに乗ったことだ。
トラックの荷台に乗って町中に出ていったことがあった。
交差点で曲がると、荷台には掴むところがないのでコロコロと転がった。
遠心力が強いとちょっと怖かったが楽しかった。
トラックに乗る機会はさほど多くないので、おそらくこの時だろう。
運転席と助手席の後ろにちょっとしたスペースがあったのを覚えている。

 

いろいろと車窓の記憶をたどってみると、当時僕は後部座席の右側が定位置だったように思う。
助手席の後ろだ。
記憶の中の写真は右後ろからの風景が多い。
左前の運転席は父、右前の助手席は母、運転席の後ろは弟、助手席の後ろは僕だ。