「1」と「7」

これは数字の何に見えるだろうか?

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これが何の数字に見えるかな?



おそらく多くの日本人は「1」か「7」で悩むのではないだろうか?
「7」に見えるという人も多いと思う。
しかし、アメリカ人には「1」に見える。
「7」はこのように書くことが多いからだ。

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アメリカ人が書く「7」。だが、日本人でこのような「7」を書く人は見たことがない。


日本人の多くは「7」をこのように、先端に短い棒を付けて書く人が多いのではないだろうか?

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おそらく日本人の多くは「7」をこう書く。だが、アメリカではやめた方がいいかもしれない。

しかしこれがアメリカではトラブルを生む。
アメリカ人はこのような短い棒を付けないので、誤解されてしまう。

 

忘れもしない。
小学校で算数の小テストをやって、隣りの生徒と答案を交換して採点してもらった時のこと。
答えに「7」が出て来る問題が悉く不正解にされてしまった。
当時、算数は得意だったので満点以外に取れる気がしなかったが、かなりペケをもらった。
おいおい、何だ?このヘッポコな採点は?!
君ねぇ、これは「7」だよ。合ってるんだよ。正解だよ。
と採点してくれた隣りの生徒に言った。
すると、いや、これは「17」だ、不正解だ、と言うのだ。
おいこら、どこが「17」やねん。こんなに小さい「1」があってたまるか!と思って、
いや、これは「7」なんだと主張すると、
"He's cheating!"とわめき始めた。
それでどうなったんだろう?よく覚えていない。
ヤベッと思って黙ってしまったか、先生に判断してもらったか、どっちかだと思う。
肝心な所の記憶がダメだなあ。

 

数字は万国共通のはずなのに、何でこんなことになるんだろう・・・
今でも外国人が書いた「7」の字を見ると、このことを思い出す。

昼休みの過ごし方

1つ目の学校(Walteria Elementary School)のときはドッジボールをよくしていた気がする。
教室のすぐ近くのコンクリートの部分でドッジボールをした。
芝生のある、遠い校庭にも行ったことがあるが、何をして遊んでいたかは覚えていない。

芝生は今よりもっと広かったように思う。

 

2つ目の学校(Vista Grande School)の時は、皆"Tetherball"に熱を上げていた。
前にも触れた、poleに紐を巻き付ける競技だ。
コンクリート(あるいはアスファルト)の地面に
高さ2mはあったのではないかと思うpoleがあり、その先から紐が垂れていて、
紐の先にバレーボールくらいのボールが付いていた。
コンクリートにはpoleを中心とする半径1mくらいの円と十字が描いてある。
(上空から見たときに丸に十字の線が見えたら、この競技のためのコートだ)
円の中を十字の線の片方を使って2つに陣地を分ける。
相手陣に踏み込んではいけない。
それでボールを投げて自分の方向に紐をポールに巻き付けきったら勝ちという競技だ。
自分と相手はそれぞれ逆の方向に紐を巻き付けようとする。
巻き付ける時はボールを投げて巻き付ける。
ボールを持っている方がオフェンス、持っていない方はディフェンスする。
相手ボールで、相手がボールを投げたら必死にブロックする。
あわよくばボールを取る。ボールを取れればこっちがオフェンスだ。
ブロックに失敗したら、ボールはくるっとポールの周りを1周して再び相手陣に行ってしまう。
それを相手が手にしたら再び相手のオフェンスになる。
これを何度も繰り返したら、そのうちに紐がポールに巻き付ききってしまう。
そうなったら敗北。ゲーム終了だ。
負けた方は去っていく。
昼休みともなると、この遊具の前には何人も並んでいるので、負けた人は次の人と交代になる。
この遊具は校庭に4個並んでいたので、負かされて、こいつは強すぎると思ったら、
隣りの遊具の列に並べばよい。リベンジしたければ、また同じ遊具の列に並べばよい。
勝つと連戦することになるが、連続して対戦していると疲労がたまってくるので、
そんなに何連勝もすることは簡単ではなかった。
列に並んでいる挑戦者を全員倒し、一巡すると、"around the world"と言った。
これが一種の称号だった。
この競技だけでなく、多くの競技で挑戦者を一巡すると"around the world"と言われた。
お前すごいよ、around the world だぜ!みたいな使い方をした。
竹嶋学はこの競技の強豪だった気がする。

 

ボールがpoleに巻き付ききった瞬間、金属のpoleが激しく震動した。
闘いの激しさを示すかのように震動したのを覚えている。
熱いデッドヒートのフィナーレに相応しい最後だった。
今、Vista Grande の衛星写真を見るとポールの影が写っていないので、
もしかすると今、poleは切断されているのかもしれない。
40年前は男子の間では、学校で最もメジャーな遊びだった。
毎日毎日、熱い戦いが繰り広げられていた。

 

もう一つ、うろ覚えに覚えている昼休みの遊びは、校舎の壁を使った遊びだ。
あまり自信を持って覚えている訳ではないが、
いわば、マンツーマンのドッジボールみたいな競技だったように思う。
これも挑戦者が列になって並んでいて、新規挑戦者は壁の前に立つ。
前回の勝者は挑戦者に向かってボールを投げる。
ドッジボールと同じで、ボールを受け止めれば挑戦者の勝ち。
ボールに触って落としたら挑戦者の負け。
ボールに触らなかったらもう一度やり直し、だったと思う。
この場合、ボールは壁に跳ね返って、ボールを投げた人の手元に自然に戻るので、
そのまま、二投、三投した。
要するに、挑戦者はボールをガッチリ受け止めなければならない。
ボールを受け止められる自信がないボールが来たら、逃げるべきだ。
ボールに触らないように逃げる。
その点はドッジボールと同じだ。
これも挑戦者を一巡したら、"around the world"の称号をもらえる。
しかし何度も全力で投げていると疲労してくるので、簡単ではない。

 

ところで、ドッジボールやこの競技で使うボールは、少し黒味がかった赤いボールだった。
このボールがアメリカでは結構メジャーだった。
あまり自信がないが、うちでも買ってもらったような気がする。
元々ゴムでできている上に、表面に細かく滑り止め加工がなされていて、
滑りにくいボールだった。
日本で同じものを見たことがない。

 

確か3年生のとき、Grass hockeyが大好きな生徒がいた。(今は Field hockeyと言う?)
毎日stickを学校に持ってくるくらいの熱の入れようだった。
彼は休み時間になると、ヒャッホーとstickを持って、勢いよく校庭に飛び出して行った。
Jogathon に使う辺りの校庭で Grass hockey をしていた気がする。
Grass hockey 仲間がそんなに大勢いたのか、ちょっと疑問だが。

小学生で Grass hockey に熱中する人を日本で見たことがない。

昼食

Walteria Elementary School では lunch boxを持参した記憶があるが、
Vista Grande School では食堂で食べた記憶がある。
Vista Grande では食堂のことが多かったのは確実だが、
Walteriaではどうだったか、あまり自信がない。
lunch boxを持参していた時期があるのは間違いない。
Walteriaでは、昼食の時は国旗と州旗を掲揚している広場の辺りに移動した気がする。
(英語の特別教室もこの広場の近くだった。)
アメリカ人のクラスメイトの中には、非常に粗末な lunch の人も多かったのを記憶している。
リンゴだけとか、サンドイッチだけとか、バナナとリンゴだけとか。
ベンチへ移動している最中に、lunch boxからカランコロンと音がするので
普通のlunchではないだろうとは思っていたけど、
本当にそれだけ?と思うことがあった。
アメリカのリンゴは日本のものよりかなり小さい。
サンドイッチもパンによるけど、日本のものより小さいものも一般的だ。
バナナは電話の受話器に見立てて、ひとしきり遊んだあと食べる。
アメリカ人の中には、子供でも顔にシミが点々としている人も多かった。(お年寄りにできるシミとはまた違うもの)
鼻から頬にかけてシミが点々と入っていた。
日本人ではあまり見ない種類のものだ。
食事に問題があるのか?と感じた。
自分の弁当がどうだったかは覚えていないが、米中心だったのはないか?
当時はおにぎりに馴染みのないアメリカ人が大半だった。
海苔がとにかく不評で、黒い塊が何とも言えず不気味に見えたようだ。
どこまで本当の話か知らないが、飛行機の中で落としたおにぎりが転がったら
皆逃げ出したという話を聞いたことがある。
アメリカ人にとって、黒い塊というと、爆弾をイメージするのかもしれない。
アメリカのアニメ(cartoon)では、爆弾は黒くて丸いものとして描かれる。

 

Vista Grande では、おそらくほぼ100%食堂を利用していたと思う。
1食$1.25だった。
そもそもどうやって昼食の時間に突入するのか、それも覚えている。
お行儀良くしているグループから昼休みになるのだ。
直前の授業の都合でグループになっていたのか、普段からグループになっていたのか、
それはよく覚えていないが、昼食の直前にはいつもグループになっていた。
1グループは5,6人くらいのメンバーからなり、みんなの机を寄せて島にしていた。
直前の授業が終わったら、お行儀良くする。
お行儀良くとは、机の上の物を仕舞って机の上に何も乗っていない状態にし、
その机の上で手を組んでfreezeする。
日本だったら手を膝の上に置きそうなものだが、アメリカでは手は机の上だ。
肘を張って両肘を机に乗せ、両肘から上を机の上で一直線にする感じ。
手は軽く握って重ねる。(組んだかもしれない。)そしてスマイルを浮かべれば完璧だ。
アメリカ人は子供の頃からスマイルを浮かべるのに慣れている。
実はここまでの動作を皆、瞬時に行う。
食堂の前は大行列になるので、一刻も早く教室を出て並ばないと出遅れるのだ。
2つあるドアのうち、食堂に近いドアの前に先生が立ち、1つ1つグループを指名しては昼食にしていいと指示するのだ。
しかし、これが結構勿体ぶるのだ!嫌がらせのように。
もうみんな完全に臨戦態勢に入っていて、お行儀のいいスタイルで微動だにしていないのに、
先生は深刻で難しい顔をして、じゃあグループ〇〇などとゆったり指名するのだ。
この数秒の差が食堂の順番に大きな影響を与えるのに・・・
めでたく自分のグループが指名されると、大急ぎで食堂に急行する。
いつも大行列だった。
すんなり昼食にありつけることは殆どない。
列に並びながら近くの知り合いとお喋りしたり、1ドル札と25セント硬貨(quarter)を見せ合いっこしたりしていた。
1食の料金は $1.25なので、みんな1ドル札とquarterを握りしめていた。
1ドル札のどこにマイクロ文字があるとか、どこに小さな虫みたいなものが印刷されているとか、
中央左の大きなアルファベットを確認し合うとかが日課だった。
1ドル札には中央左に目立つようにアルファベットが1文字印刷されている。
パターンはAからLまでの12種類しか見たことがない。
しかも何故か"L"が圧倒的に多かった。毎日確認していたので間違いない。
これはLos Anageles特有の事情だと思う。
地域によって違うのではないか。
今も"L"が圧倒的に多いのかどうかは分からない。
毎日食い入るように1ドル札を見ていた。
行列は食堂の外まで延々と続く。
行列が食堂の中に入ると、1ドル札とquarterをそれぞれ別の箱に入れる(というか乗せる)。
一応番している大人がいた。
これで支払い完了。
食事の乗ったトレイを持って、中庭のベンチに座って食べる。
中庭には大きな木があって、一度鳥のフンが肩に落ちたことがあった。
食べ物に落ちなかったのは不幸中の幸いだった。
僕は嫌いな食べ物は全くないので、何でもおいしく頂いた。
中でも一番好きだったのは、mashed potato with turkey sauce だ。
これははっきり覚えている。
蒸して潰した白っぽいポテトに、ベージュ色のturkeyソースをかけたものだ。
turkeyのソースが美味かった。
turkey と言っても、固形物は少ししか入ってなかったが。
これはいつもトレイの小さなくぼみに入っていた気がするので、side dishだったと思う。
最後に食べたのは36年前。帰国してから1度も口にしていないはず。
また食べてみたいな。

 

昼食のあとは昼休み。
これについては別途書く。

Jack Frost coming to town

日本人でこの遊びを知っている人は非常に少ないのではないだろうか?
要は鬼ごっこの一種だ。

 

最初は鬼が一人で、鬼以外の平民は広いフィールドの片側の安全地帯に集まっている。
そこへ"Jack Frost coming to town!"との号令が掛かったら、
平民はフィールドの反対側の安全地帯に移動しなくてはならない。
移動中に鬼にタッチされたらfreezeし、移動できなくなる。
移動できる平民が全員安全地帯へ移動するのが完了したら、第一ラウンド終了。
再び"Jack Frost coming to town!"の号令と共に第二ラウンド開始。
すると、フィールドを横断して、また元の安全地帯へ移動しないといけない。

これを繰り返す。

鬼にタッチされたり、freezeしている人にタッチされたりしたら、freezeすることになる。
freezeしている人は足がfreezeしているだけで、上半身を動かしてタッチできる。
結局、freezeしている人を起点にどんどんfreezeする人が成長していく。
平民は段々動けるスペースが限られてくる。
その限られたスペースに鬼が待ち受け、追いかけてくる。
鬼から逃げようと複雑な動きをしていると、
freezeしている人に接触してタッチされるということが起こりがちだ。
最終的には平民はいなくなる。
平民は、大きな魚にエサとして食べられるイワシになった気分だ。
最初は大きな1つの群れだったのに、どんどんfreezeさせられ、
小さな群れに分断させられ、最終的には食い尽される。

 

この遊びも Vista Grande School で、クラス全員でよく遊んだ。
校庭のどこで遊んだかも覚えている。
教師も混ざっていた気がするので、授業の一環で遊んだのではないか。

 

今は説明のため、「鬼」「平民」という言葉を使ったが、
当時は何と言っていたか、よく覚えていない。
「鬼」が"Jack"だったのかもしれない。

 

"Jack Frost coming to town!"の号令をかける時、"town"の抑揚に特徴がある。
まるで新聞や雑誌の売り子の売り声のような抑揚になる。
文字では到底伝えることが出来ないのが残念だ。

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Vista Grande School の記憶の中のレイアウト。"Jack Frost coming to town" は校庭の左下の方で遊んだ。

 

Jogathon

今までJogathonがどこまで一般的なものなのか知らなかったが、
さっき検索してアメリカではかなり一般的なイベントであることを知った。
要は寄付金を募るチャリティーである。
記憶しているのは Vista Grande School でのイベントだったので、
もしかすると、この学校だけのイベントなのかとも思っていたが、実は全米的なイベントだった。
名前は想像が付くと思うが、jogging と marathon を組み合わせた造語だ。

 

仕組みはこうだ。
まず、事前に生徒がトラックを一周するごとにいくら寄付するかということを、
学校と保護者との間で約束する。(おそらく契約)
そしてイベント当日は校庭のトラックを走り、1周ごとにスタンプをもらう。
生徒はスタンプをもらえるのが嬉しくて、頑張って走る。
校庭のトラックは意外に小さくてどんどんスタンプをもらえる。
時間内に何十周も走れた。
生徒はそれで満足だが、保護者は成績に基づいて寄付しなければならない。
喜んで押されまくったスタンプが、集金のための証拠になるのだ。

 

当時母が言っていたのは、日本人の保護者の中にはトラブルになる人もいた。
事前の契約では、1周ごとの寄付額を記入する。
しかし寄付の総額を記入するのかと勘違いしたり、
何周くらい走れるものなのかという相場を知らなかったりして、
法外な寄付金を要求されることがあるとのことだった。
保護者との契約では、何ドル何セントと2ヶ所書き込むようになっていたので、
最低1ドルなのかと思って「$ 1 . 00」と書き込むだけで、(下線だけ引いた空欄の上に書き込む方式をイメージした)生徒が50周走れば寄付額は50ドルにもなってしまう。
50周くらいは走っていたような気がする。
1ドルならまだ良くて、気軽に色を付けるととんでもない出費になってしまうのだ。
寄付総額と思って気安く記入すると、その何十倍も請求される。
そういう可哀想な日本人家庭がそこそこあったはずだ。
今もいるかもしれない。

 

Jogathon を校庭のどこでやったか、
どこでスタンプをもらえたか、ということまで記憶している。

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Vista Grande Schoolの記憶の中のレイアウト。一番下が Jogathon用のコースとして使われていたエリア。校庭の一部なので芝のはずだが、ちょっと草が深かった。あまり手入れが行き届いていなかった気がする。スタンプはJogathon用コースの左上の方で押してもらえた。

 

Vista Grande School の「事故現場」

これは4年生の時だったはずだ。
おそらく教室を移動している時だったのではないか。
学校の敷地のすぐ外の道路(と言ってもフェンスや崖がある)で、車同士の交通事故があった。
人が死ぬような大掛かりなものではない。
でもかなり大きな音がした。
キキーッ、ガン!の音の直後に、大声で罵り合いの声。
日本だったら「済みません、大丈夫ですか?」となる所だろう。
しかし、ここはアメリカ。
直ちに、お前が悪い!いや、お前だろ!の罵り合いだ。
同級生たちがたくさん教室の外に出ていた(だから教室の移動の時だったと思う)ので
音を聞き付けて、みんなフェンスに張り付いた。

フェンスに隙間なく張り付いた。二重三重に人垣ができたくらいだ。
木が邪魔して、少し現場が見えにくかったのを覚えている。
そんなに交通量の多い所でもなかったと思うし、しかも直線なのに、なんで事故なんだろう?
そんなことより、事故直後に大人が大声で罵り合っている、その気迫に圧倒された。

アメリカではよくあることだ。
他でも同様の現場を見た記憶がある。
どこだったかは覚えていないが。
記憶しているのはそこまでだ。

 

当時から、日本人は交通事故を起こすと、不利な立場に追いやられると言われていた。
すぐに"I'm sorry"と謝るからだ。
アメリカ人は謝らない。
相手が謝ったら、「そうだな、お前が悪いんだな」と言質を取る。(すごい気迫で。)
多くの日本人は「Yes, yes」と間髪入れずに言うだろう。
だから、責任の分担をする時に、日本人が一方的に悪いことになりやすいと言われていた。
いや、当時親が言っていた。
今もあまり変わっていないのではないだろうか?

 

事故現場は学校の敷地の外だが、崖の下だった。
それなりに高低差があったような気がしていたが、
今GoogleMapのstreet viewで見ると、大したことのない崖に見える。
そもそも崖というほどでもない。
丘(hill)程度だ。
そうだったのか。

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Vista Grande Schoolの記憶の中のレイアウト。一番上の「事故現場」とあるのが、今回の現場。いつもはのどかな場所なのに、一瞬で憎悪の場と化した。

 

教科書

日本では、授業で使う教科書は配布され、自分のものになる。
アメリカでは教科書はレンタルで、自分のものにはならない。
自宅に持ち帰ることもない。
日本のように教科書とノートを毎日自宅から持っていったり持ち帰ったりしない。
(ランドセルもないし。)
だからアメリカの教科書は(全部が全部ではないが)ハードカバーで頑丈で立派だ。
何年にも渡って使い続ける学校の備品だ。
(算数のドリル的な本には直接書き込んでいた気もするけど、
あれもレンタルだったのだろうか?)
だから今、アメリカで使っていた教科書は手元にない。
しかし、1冊だけ親が買ってくれたことがあった。
忘れもしない。
"One to Grow On"という教科書だ。
オレンジ色の表紙だった。今も家にあるのだろうか?
親と一緒に本屋に行って買ってもらったのだ。
僕が希望したのか、親の意図だったのかは覚えていない。
学校で使っていたのはハードカバーだったが、本屋で見つけたのはソフトカバーだった。
学校で教科書として使う図書は何年にも渡って使えるように、
特別仕立てになっているのかもしれない。
検索したら、amazon.comにあるではないか!おおっ、懐かしい!
ハードカバー版が$144.38!随分高いんだなあ。当時もこれくらいしたのだろうか?
さすがにソフトカバーはもっと安いんだろうが。
1976年発行。40年前は新しい教科書だったんだ。今でも使っているのだろうか?
関連書籍に"May I Come In?"が出てきた!
おおっ、これもアメリカで使っていた教科書だ!間違いない。
ハードカバーで$21.75。これくらいが適正価格だろう。
1980年発行。40年前は最新の教科書だったのだ。懐かしいなあ。内容は覚えてないけど。

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唯一親が買ってくれた学校の教科書。(amazon.comより拝借)購入したのはソフトカバーだった。今でも実家にあるのだろうか?

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これも当時学校で使っていた教科書(amazon.comより拝借)。ただただ、懐かしい。

 

"Social Science"だかの授業で、"Captain Cook"が何度か出てきたのを覚えている。
日本ではあまり詳しく習わないと思うが、アメリカの歴史では重要な人物なのだ。
(おそらく、英連邦の国々では、というべきなのだろう。)
結構時間を取ってどういうことをした人物なのかを習った。