渡辺ともき君

彼もVista Grande School で同学年だった。

 

お父さんが日航パイロットで、面白い話をいろいろ聞いた。
その中で明確に覚えているのは、羽田沖墜落事故のことだ。
当時は「羽田沖」なんて言葉は知らなかったが。
不謹慎と受け取る人もいるかもしれないので詳しくは書かないが、事故の原因についても、機長や副機長のセリフを再現しながら聞いた。
Tetherballのコートの横だったように記憶している。
当時は渡辺君の言うことは何でも信用していたが、日本に帰国し成長するに連れて、
そんな事故が本当にあるのかという気持ちも出ていた。
そんな頃、何かのテレビ番組で事故に触れていて、やっぱり本当だったんだと知った。
今でも羽田沖の事故について聞くと、渡辺君のことを思い出す。

 

渡辺君のお父さんがパイロットなので、普通であればアメリカに持ち込みにくいものも簡単に持ち込めると何度も聞いた。
その一例としてはっきり覚えているのは、ホオズキだ。
浅草(?)の縁日で購入し、そのままパイロットの権限でアメリカに持ち込んだとのこと。
そのホオズキは渡辺君の家で実際に見せてもらった。
鉢にツル性植物を支えるための支柱数本と輪っかが固定されてあり、その中にホオズキが植わっていた。
そのような鉢が数個あった。
世の中にこんな植物があるのかと驚いた。
ホオズキの実を取り、中の種などを取り去り、ピンポン玉のようにして遊んだような気がする。
もしかすると、渡辺君がそうやって遊んだと聞いただけかもしれない。

 

飼っていたハムスターが子供を産んだあと、渡辺君に一匹引き取ってもらったことがあった。
しばらくして渡辺君の家に遊びに行ったとき、そのハムスターが巨大化していたのを記憶している。
渡辺君の家は裕福で育ちがいい印象がある。
渡辺君自身いつもブランドものの服を着ていたイメージだ。
例えばラコステ上着みたいな。(あくまでもイメージ)
ハムスターのケージもうちのより倍くらい広く、日曜大工で自作したような木製のケージだった。
エサもたらふく食べていたのではないだろうか。
うちで飼っていた両親ハムスターよりも一回り以上は巨大化していた。
ハムスターも育ちが良かった。

 

確か、大坂の枚方に帰国した。
それを知っているということは、渡辺一家の方が先に帰国したのかもしれない。
手紙を出した記憶があるが、返事が来たかどうかは覚えていない。